2016年11月01日

『武州通信』第235号

 ようやく秋らしい季節になりました。と言いつつ、もう11月です。いつもならそろそろ秋も終盤のはず。木々も急いで彩を深めているような…。さて今号はこのところ毎年の恒例になっている『武州野外大学』のお話です。

《『落合』探索 part 1》の巻  

 10月29日(土)、山手線『目白駅』改札口。僕が到着した朝9時40分頃には、早々と鵣飼さん(卒業生の泰輔君、綾子ちゃんのお母さん)、眞嶋さん御夫妻(卒業生の麻衣ちゃんの御両親)、藤田さん(卒業生の園子ちゃん、順子ちゃんのお父さん)と順子ちゃんのご主人のスウェーデンから来日したロバートさん、のお姿が。この日は第四回目の『武州野外大学』の日。そこに知人の石黒さんと佐藤さんが見える。ややして引率者の紺野さん、武州大学の田中さん、田口君が登場し、僕を含め総勢11名の『落合探索隊』の結成です。

 落合?と言っても、僕はこれまで目白駅で降りたこともなく、また目白と聞いて田中角栄元首相の“目白御殿”しか頭に浮かばないのですから(そして目白御殿の跡地は方角が逆で今回の探索の対象ではないのですからますます)イメージが湧きません。引率の紺野さんに一切をお任せのままに…。

 さて、最初は近衛文麿元首相の邸宅の跡地。とは言え、今では面影を残すのは「近衛の欅」のみ。紺野さんの解説を聞き、近衛邸の広いこと広いこと、びっくりです。今でも「近衛町パークマンション」など(現在の住居表記は下落合ですが)近衛町の名前を冠した建物がいくつもあります。独り寂しく立つ欅の木は時の流れをどう思っているのかな?
 おそらく近衛文麿ほど、太平洋戦争への道を考える際に鍵になる人物はいないのではないかと思われます。それは以前『武州大学』で『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子著)を考察したときに時々僕を襲った感慨です。現代の僕達は近衛首相のボタンの掛け違いを容易く批判することができます。しかし、僕があの本を読みながら思ったことは、その時々の場面で彼はこうなることを望んでいたわけでもなく、最善の道を選ぼうとしてなした結果だったのではなかったか?と。そこから見えてくること、それは、歴史を動かす動因は複雑すぎて、渦中にいる人々には完全には読み取れないものだということ、そして、如何なる人間の存在も、抗えぬ流れの中ではちっぽけなものに過ぎないということ、などでした。そんなことを頭に描いて、我々も抗えぬ歴史の真っ只中にあることに思いを馳せつつ、「日立目白クラブ(元学習院大学の寄宿舎)」や「おとめ山公園」を通り過ぎ、次の目的地、「中村彝(つね)アトリエ記念館」「佐伯祐三アトリエ記念館」へ。

 いよいよ美術の街に到着です。中村彝(つね)?それに佐伯祐三? 昔どこかで聞いたことがあるような気はしますが、何とも覚束ない。そんな僕ですから美術の批評はよしましょう。何はともあれ、2人とも大正時代を代表する画家だったようですね。経歴を見るとさまざまな苦労を重ね、それでもたくさんの作品を残しながら、中村彝は結核で37歳で、佐伯祐三は精神を病んで30歳で、共に若くして亡くなっています。
 これらの記念館は無料なのですが、それでも係員の方々は、とても親切に丁寧に説明してくれます。そんなこともあってか、僕達もゆったり鑑賞することができました。

 ところで、この一帯は「元目白文化村」と言って、昔は作家や画家など文化人がたくさん活躍していたようです。こんなところが東京にあったとは! 目から鱗が4〜5枚は落ちた気がします。なるほど、紺野さん推薦の場所、それが『落合』なんですね。

― そして、いつの間にやら、いよいよ楽しみなお昼の時間。さて、どんなところで?一体何を? これについては次号に(つ・づ・く)。  

(斉藤 悦雄)
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2016年10月03日

『武州通信』第234号

月がまた一つ終わった。今年はなかなか一気に秋にはならず、クーラーを使う日々も。それでも、先日教室の片隅に“こおろぎ”が一匹。どうやら、静かなる溶暗を思わせる秋が訪れたようです。遅れても来ないよりはまし? 金木犀の芳醇な香りが漂っています。

富さんの《地方創生の現場から》の巻

 「富さん」そして「お富」、中には「能成(よしなり)」と呼び捨てする不届き者も(まぁ、それだけ親しまれていたことの証ですが…)、30年ほど前、武州で先生をしていただいた富田能成さんのことです。その富さんは大学生の頃一年休学して、世界一周旅行をしたのです。当時の生徒達はというと、旅先から送られてくる絵葉書を楽しみに「富さんからの手紙まだぁ?」と心待ちにしていたものです。そして大学を卒業してからの彼は何故か銀行員に。だから教え子達は、「富さん銀行員? 何だか似合わないね」とか「お富は冒険家になると思っていたよ」と。そんな教え子達の言葉に、富さんは常々「銀行員は仮の姿、そのうちに…」と、たじたじ?

 さて、長い銀行員生活を経て、念願の故郷、埼玉県横瀬町へ。町議会議員を勤めて、昨年1月、晴れて横瀬町の町長さんに…。いよいよ本領発揮というところでしょうか? そこで、9月24日の『オアシス武州』は、いま話題になっている地方創生について富さんに話していただくことにしました。僕は東京暮らしに慣れきってしまったためか、これまで「地方創生」と耳にしてもあまりピンとこなかったのですが、富さんのお話を聴いて地方自治の現実や地方創生の難しさが少しは理解できたような気がします。

 横瀬町は人口約8600人(世帯数約3300)の緑豊かな小さな町です。でも25年後には人口5000人を割ると予想され、人口減少はとても大きな悩みの種です。しかし人口の自然増加はそう簡単にはいきませんよね。そこで、外から引っ越してきてもらい、内からは引っ越されない対策が重要になります。それにはやはり魅力のある町作りが急務ですよね。富さんは開口一番「皆さんは横瀬町って聞いたことありますか?」と…。参加者一同シーン。「そうですよね。知りませんよね。ハハハ…」。何しろ知名度が低い。「何はともあれ、町を知ってもらい、外部から多くの人に来てもらうことが先決です」と。そして、企業を誘致するにしても過当競争で、基礎体力がないことには正面からこれに参入するのは難しいらしい。そこで…、富さんは考えた。この9月30日に、国からの補助金2700万円を得て、リクルートホールディングスをパートナーに、廃校になった小学校を利用して、『よこらぼ(横瀬町とコラボする研究所)』を立ち上げることに(立ち上げの様子は『埼玉新聞』・『東京新聞』埼玉版・『日経新聞』埼玉版で報道されました)。それは、地方創生をビジネスチャンスだと考える若手起業家や大学や研究所を町に呼び込む、そして『よこらぼ』の発想を梃子に大企業も呼び込む、という作戦です。何だか面白そうですね。日本初の試み、富さんの攻めの姿勢がここに見えます。これが成功すれば住民にも張り合いが出るし、町もずいぶん活気づくことでしょう。乞うご期待!

 今、国を挙げて地方創生が叫ばれていますが、それは麻薬のようなもので、成果が出なければ補助金カットで衰退する自治体はたくさん出る、との予想も。「だから補助金をもらえている今がチャンス。この間に町の体力をつけることが不可欠だ」と言います。富さんは『よこらぼ』のほかにも、「子育て環境の充実」や、「外部からのイベントや映画のロケの導入」などいろいろと考案しています。やらねばならないことが山積みですね。

 横瀬町は東京から近く(池袋から西武線で74分ほど)、田舎に住みつつ時には東京に遊びに行く、というライフスタイルもできます。横瀬駅は特急も止まるので、知名度が上がれば充分可能性はありそうです。また、武甲山を背景に寺坂棚田が広がり、冬は「氷柱」、夏は「ほたるかがり火まつり」秋には「彼岸花まつり」などが開催され、観光的にも更なる期待が膨らみます。どうやら横瀬町にはまだ宝石の原石がたくさん埋まっていそうですね。その原石をどう輝かせるか、富さんの“冒険?第二章”の始まりです。富田町長、頑張れ!

 いま地方の行政や議員に疑惑の目が向けられていますが、真の冒険家は慎重なもの、僕は何だか富さんの中に “慎重で果敢な真の冒険家の姿” を垣間見たような気がして「素敵な町になりそうだな?」と思い始めています。どうやら僕にとっても地方創生を考える具体的な場所ができたような…。富さんの横瀬町、それが僕が考えるための拠点です。そして横瀬町を陰ながら力一杯応援したいと思っています。皆さんも是非富さんの横瀬町を応援して下さい。

(斉藤 悦雄)

【インフォーメーション】
10月29日『武州野外大学』 10:00am 山手線『目白駅』改札口集合(雨天決行)
   テーマ:『落合』探索 〜 乙女山の彼方へ 〜
   引率 : 紺野正さん
  ※関心のある方は是非参加してください。
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2016年08月02日

『武州通信』第233号

 朝日新聞(7/27)の『折々のことば』に「世界に対する期待が低いと、幸福を感じるのもわりとかんたんなのかも」という言葉が…。なるほどそうかもしれませんね。もしかしたら、幸福は日々の生活の中に目立たずひっそり佇んでいるのかもしれません。
 まぁ、そうは言っても、世界に関心がなくて良い、というわけにもいきませんけれど…。

《言葉、この不思議で面白いもの》の巻

 街を歩いていると、遠くから 「おーい、早く来いよー」という声が聞こえてくる。見ると、2人の小学生らしい子が道路の反対側から仲間に向って叫んでいる。信号は赤なのに…。そして、こちら側の子どもはというと、困ったような様子でうじうじ迷っている、まだ赤信号のままである。「待った方がいいよ」と声をかけようかな? すると、すかさずまた向こうから「何やってんだよ、みんなで渡れば怖くない、って言うだろ」と。僕は、その言葉に “えっ” と思わず歩を休める。あの子達おそらく小学生だよな。「赤信号みんなで渡れば怖くない」というその言葉は1980年にビートたけしがはやらせた流行語である。僕は、たった今小学生の口からその言葉が漏れ出たことに、事の善悪を通り越して面白さを感じてしまう。そうか、もしかしたら、親から子へ、子から孫へ、と連綿と語り継がれてきたのだろうか? そう思っただけで、注意するのも忘れて何故か顔がほころぶ。

 武州の国語の授業では、時としてどう説明したら良いのか戸惑うことがしばしば起こる。先日も中学三年生の田中理央ちゃんが、突然 「 “概念” ってどういう意味?」と質問する。「うーん、概念かぁ、それは “物事の本質のこと” なんだけれど…」と口ごもる僕。そうなのだ、そうした言葉を使ったことのない生徒に、その言葉の意味を教えることはとても難しいのだ。辞書を引いて見せても厄介な表現すぎて、理央ちゃんの頭はますます混乱するばかり。それに、辞書から得られる情報は確かに間違ってはいないのだが、文脈によっては何だか 微妙にズレているような気がすることも多いのだ。うまく教えられなくて 理央ちゃんゴメン。結局、言葉の習得は日常生活で使い馴れるのが一番のコツなのだろう、と思う。かつて「先生なのに教えられないの?」なんて不満顔で訴える生徒もいたが、そうなのだ、教えられないこともたくさんあるのだ。

 ところで、また別の意味で考えさせられることも時々起こる。もうかれこれ20年ほど前になるのかな、当時の中学二年生にジットンという愛称の明るく活発な女の子がいた。その子があるとき 「 “虚しい” ってどういうこと?」と呟くように言うのである。生徒達はみんなキョトンとして「頭のいいジットンが “虚しい” って言葉を知らないなんて」と一斉に顔を見合わせる。すると彼女は「ううん、分かるよ。胸がもやもやして悲しいって言うか、心に穴がぽっかり開くって言うか…。何となく分かるけど、でも、それってどういうことなの?」と首を傾げるのである。「そうか、なるほど、ジットンはこれまで虚しい気持ちになったことがないんだね。それって、ずっと幸せだった、ってことだよね」と僕。そのとき、何だか “彼女の屈託のなさの一端” にちょっぴり触れた…、ような気がした。そして、これが僕にとって忘れられないひとコマになった。果たして彼女は、そして当時の生徒達はこの出来事を覚えているのだろうか?(いつか会う機会があったら聞いてみたいと密かに思う)。人生にはいろいろなことが起こるものである。おそらくあのジットンもその後の生活の中でいつしか虚しい気持ちを覚えたことだろう。そして、“虚しさ” が時として “自らを省みる一服の薬” になりうることも…。それにしても、言葉の意味が何となく先に分かり、実感が後からついてくる、こんな不思議なこともあるんですね。

言葉って本当に不思議で面白いですね。おそらく、これまでに読書を含め言葉を日々どれだけ多く操ってきたかにかかっているに違いない。それも日々の生活や読書の中で “知らないうちに” いつの間にやら身についてしまうもの、そして、それゆえ、“知っている” ということの曖昧さや怪しさも…。しかも言葉を手にした後に実感が訪れることも。言葉の不思議、それは子ども一人ひとりの言語体験によって、幾重にも重なりつつも、それぞれ僅かずつ異なっているということ。言葉の獲得って誰でもみんながすることなのに、それでいて結構 “微妙” で “複雑” なものなんですね。                  

(斉藤 悦雄)

【インフォーメーション】
9月10日『武州大学』  7:00pm〜
   テーマ :『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を考える。part 3
   レポート:斉藤悦雄
9月24日『オアシス武州』7:00pm〜
   テーマ :『地方創生の現場から』〜埼玉県横瀬町の地方創生〜
   お話  :富田能成さん(埼玉県横瀬町町長)

  ※関心のある方は是非参加してください。
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