2015年10月27日

『武州通信』第227号

 今号は前号の続きです。“兵どもの夢” は何も政治家や男ばかりが見るわけではありません。今号はそんな“兵の夢”の話です。

《「大磯」探索、澤田美喜記念館》の巻
〜 続々:書を捨てよ、町へ出よう。part 2 〜

 今回の「大磯探索」の発案者である紺野さんには、どうやらある思惑があったようです。澤田美喜の二面性を探る? 澤田美喜ってどんな女性? まぁ、それについては後ほど触れることとして、まずは腹ごしらえを…。

 紺野さんが予約しておいてくれたのは、大磯駅近くの、なんと『大磯迎賓館』でした。注文したのはピッツアでしたがオードブルからデザートまで、ゆったり2時間ほどかけてちょっぴり貴族気分。とはいっても、われわれはやっぱり庶民です。さまざまなピッツアをみんなで取り分けて「うわー、これ美味しいー!」とわいわいがやがや雑談に花が咲きます。                      

 さて、腹ごしらえもすんだところで、いよいよ最終目的の『澤田美喜記念館』へ。澤田美喜は三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の孫であり、夫は外交官の澤田廉三、つまり生まれながらの貴族階級出身です。また、彼女は終戦直後には、「エリザベス・サンダース・ホーム」という施設を設立し、駐留した米兵と日本人女性の間に生まれた混血孤児を引き取り養育した聖女として知られています。

 澤田美喜記念館には、クリスチャンだった澤田美喜が収集した800点にも及ぶ“隠れキリシタンコレクション”や“エリザベス・サンダース・ホームの資料”が展示されています。江戸時代の“踏絵”のほかに、幕府の目を盗みながら作った数々の隠れキリシタンの工夫の跡が何とも面白い。表は仏像や武将の像なのに裏や見えない部分に十字架やイエスの像が刻まれていたり、刀の鍔(つば)に巧妙に十字架を忍ばせたり、さまざまな知恵を働かせています。参加者からは「これを作った人は怖かったかもしれないけれど、どうやって見つからないように作るか工夫しているときは、どきどきわくわく楽しかったんじゃないかなぁ!」というひそひそ声も聞こえてきます。なるほどそうかもしれませんね。見た目はただの鏡だけれど、光を当てると壁面にキリストの像が写し出される“魔鏡”など、確かに作った当人は楽しかったに違いありません。それはともかく、これだけの遺品を集め、混血孤児のホームを開設するためには、かなりの信仰心と使命感があったことは否めません。

 しかし紺野さんは澤田美喜の二面性も指摘します。7月の『武州大学』のとき「澤田美喜はホームの開設資金を得るためにGHQの諜報組織に日本の情報を提供していた(スパイ行為をしていた)」と言うのです。そのときの武州大学のメンバーの反応は「本当かなぁ?」と半信半疑でしたが、大磯探索の当日、紺野さんは『朝日新聞』(9/8)の「沢田美喜に『もう一つの顔』?」という“GHQの諜報局と澤田美喜との関わり”が書かれた記事のコピーを配ってくれたのです。確かに考えてみれば、終戦直後、財閥は解体され、貴族制度も廃止され、太宰治の『斜陽』ではないけれど貴族が没落する時代に、ホームを開設したり、あれだけのコレクションを集めるためには、GHQと何らかの取引をしなければ不可能だったに違いありません(とはいえ彼女の信仰心や使命感を貶めるつもりはありませんけれど…)。かくして紺野さんの狙いはどうやら達成されたようです。やっぱり紺野さんの知見は幅広いですね。

 何はともあれ、最後に理想と現実の狭間で信仰を貫こうとする澤田美喜の思いに触れ、われわれに歴史の複雑さを考えさせ、大磯探索は見事に完結したようです。紺野さんの素敵な企画に感謝に次ぐ感謝です。(おわり)

(斉藤 悦雄)

 【インフォーメーション】
 11月14日『武州大学』 7:00pm 〜
  テーマ :ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』を読む part.4
  レポート:石本朋子さん
 12月5日『オアシス武州』 7:00pm 〜
  『忘年会』
 ※関心のある方は是非参加してください。

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2015年10月21日

『武州通信』第226号

 先月19日、多くの反対と混乱をよそに安倍内閣の「安全保障関連法」が成立しました。
 戦後一貫してアメリカに追随してきた日本の政治、今後ますます…。さて、どういう国になっていくのかな、日本。

《「大磯」探索、兵どもの夢のあと》の巻
〜 続々:書を捨てよ、町へ出よう。part 1 〜

 当日の天気予報は雨、この日ほど天気予報が外れて良かったと思ったことはありません。というのも、10月17日(土)は、「大磯に兵(つわもの)どもの夢のあとを訪ねる」と題しての(第三回目の)『武州野外大学』だったのですから。もちろんいつものように引率してくれたのは紺野正さんです。
 
 朝10時10分、武州大学の8名に加えて6名のご婦人方が湘南新宿ラインの「二宮駅」に集合。やっぱり人数が多いと楽しいですね。気分は遠足気分で、心浮き浮き。神奈川県立「大磯城山公園」までバスで移動。城山公園は旧三井財閥別荘の跡地と旧吉田茂邸の跡地なのだそうです。展望台では心地よい秋風にあたりながら、眼下に相模湾を望み、遠くに伊豆半島や初島を眺め、この広い公園が別荘や邸宅の跡地とは?と、早くも“兵どもの夢のあと”を実感。

 旧吉田茂邸は2009年3月に全焼し、現在再建中なので残念ながら見学できませんでしたが、それでも、サンフランシスコ講和条約締結を記念して建てられたことから別名「講和条約門」とも呼ばれている『兜門』をくぐり、日本庭園や『心字池』を巡り、和服姿の『吉田茂像』へ。身長155cmだった小柄な吉田茂が巨大な像になって威風堂々と立っています。

 さて、旧吉田邸のバラ園を通り、東海道に出て、一路東へ。時間を気にする紺野さんはすたすた先に、そしてそれに続くわれわれは、彼の急ぐ気持ちを知りつつも、ぺちゃくちゃ話をしながらのんびりついて行くこと数十分。漸く伊藤博史の別邸『滄浪閣』へ。滄浪閣は、明治時代には山縣有朋、西園寺公望、大隈重信、等々の政財界の要人が近くに別荘を構え、来訪者も絶えなかったようです。おそらくここで政策や密議がたくさん交わされたことでしょう。しかし、その滄浪閣も後に西武鉄道に売却され宿泊施設になり、やがては大磯プリンスホテルの別館になり、そして今では更なる身売りの憂き目にあっているようです。まさに「明治の元勲の夢のあと」ですね。滄浪閣という名は、楚辞(中国の詩)の中の「滄浪之水清兮 可以濯吾纓 滄浪之水濁兮 可以濯吾足 (滄浪の水 すまば もって わが纓(えい)をあらうべく 滄浪の水 濁らば もって わが足をあらうべし) 」が由来だとのこと。どうやら「何事も自然の成り行きにまかせて身を処する」という意味らしい。きっと「どんなに汚れた仕事でも(政治家は)事にあわせてやるべきことをやらにゃいかん」ということなのでしょう。何だか分かるような、どこか胡散臭いような。

 さて、さらに東へ。しばらくすると、政治の泥臭さを消し去るように閑静な『鴫立庵(しぎたつあん)』に到着します。俳諧で有名な鴫立庵の名は、鎌倉時代に西行法師がこの地で「こころなき 身にもあわれは しられけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ」と詠んだことに由来するとのこと。というわけで、われわれも風流を決め込み? ここでお茶を一服。涼風に誘われ、無心になってホッと一息。こんな時、本当に心が洗われる気がしてきます。

 こうして鴫立庵にて秋の香りを満喫したところで、武州野外大学の一行もいよいよ最後の目的地「澤田美喜記念館」へと向います。 (つづく)

(斉藤 悦雄)
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