2017年07月18日

『武州通信』第241号

 3年ぶり?に、わが家の “月下美人” が咲きました。たった一夜の開花ゆえ、見逃してしまった年もあったような気がします。この花は、誰にも振り向かれることもなく、独り寂しく妖艶に咲き誇ることもあるのです。だからこそ、人は、たった一夜のために一心に燃え一心に燃え尽きる儚さに、自らの人生を重ね合わせて、しみじみとした思いを寄せるのかもしれません。

《ごんぎつね》の巻 

 豊かな社会。 とは言え、貧富の格差など経済問題は絶えないけれど、今号はこのことは問わないことにしましょう。何はともあれ、身の回りには飢え死にするほどの貧困はなくなったし、ある意味で成熟した社会が訪れたと言えるかもしれません。豊かで成熟した社会、それはむしろ喜ぶべきことなのでしょう。

 しかし、生活に苦しむことが少なくなると、人の関心は自分(や家族)だけに向けられることが多くなるようにも見えます。だって、他人のことまで気を配る必要がなくなったとも言えるのですから…。もっとも自己を中心に考えるのは、ホモ・サピエンスが言語を獲得して以来ずっと続いていることに違いありません。ただ、社会が豊かになった分だけ、自分の都合や気分が第一で、他人の気持ちはそっちのけ、時には不寛容であっても過ごせるようになったとも言えそうです。まぁ、あらゆることは “時間(時代)の関数” として起こっているのですから仕方ないのかもしれませんが。

 ところで、この前、あるテレビ番組を見ていて「あれっ!」と思ったことがありました。そこには 『国語の教科書「印象に残っている物語ランキング」』というコーナーがあり、その第一位が20代から50代のすべての世代で『ごんぎつね』(新美南吉著)だったと言うのです。しかも、『ごんぎつね』は1956年以来61年間国語の教科書に掲載され続けており、37年前からは検定を通った国語の教科書全てに採用されていると言います。と言うことは、日本の若い人達のほとんどが『ごんぎつね』を読んだことがあることを意味しています。それにしても小学4年生で読んだのに多くの人々の心のどこかに残っているというのは、ちょっとした驚きでもあります。まぁ何も不思議に思う必要はないのだけれど、僕はこのところ、社会全体を結びつけている共通の想像力が働かなくなり、人への思いがその場の軽い気分だけで動いていて、すべてがふわふわしているような気がしていたのです。だから…。

 『ごんぎつね』は わが子が小さかったときに一緒に読んだことがありますが、そのときは単に “悲しい物語だなぁ” という印象しか残りませんでした。そこで、武州の中学生の何人かに『ごんぎつね』の印象をそれとなく尋ねてみたのです。でも、あまりはっきりした返事が得られず、僕の方がもやもや。何だか気になって教室の書棚の飾りになっていた小学4年生の国語の教科書を取り出して改めて読み直してみたのです。

 18歳の南吉の言葉に耳を澄ましてみると、どうしてどうして結構考えさせられる内容なのです。自分の何気ない行為がとんでもない結果を生むこと。人と人とのどうしようもない心のすれ違い。しかも自尊心についても微妙に触れています。何とも悲しいお話ですが、そこにはペーソスな響きとともに人間存在の本源的 “孤独さ” も香り立っています。確かに文章は平易ですが、このことを4年生が理解できるのかな? とも…。南吉はおそらく道徳を教えようとして書いたわけではないのでしょうが、それがある意味で道徳についての本としても読めてしまうのです。道徳の教科ではなく国語という教科だからこそあらゆる世代を魅了しているのかもしれません。もっとも、これは道徳というよりも “人間存在の悲しさ” を描いたものに相違ありませんけれど。
 
 様々な人生経験を積んだ後で、現在の自分と重ね合わせて読み直してみるのも面白いかもしれません。必死でバリアを張り巡らせて不寛容に生きている現代の僕達に、無自覚だった自分のダークゾーンを改めて意識させてくれる作品のような気がします。― あらゆる世代がこれを第一位にあげたのは、人々の心の奥底で、 “人間存在の悲しみ(心の痛み)” が、時折 ふぅーと微かな吐息を漏らすから… なのでしょうか?

(斉藤 悦雄)

【インフォーメーション】
  9月23日『オアシス武州』&『武州野外大学』
      9:15a.m. 池袋駅 西武線 1階 改札口集合 
    テーマ:富さんの『横瀬町』探訪    
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2017年06月19日

『武州通信』第240号

 どうやら色も興亡するみたいですね。最近では「肌色」という色言葉は存在しない。確かにね、グローバル化した現代には不似合いですよね。世界には異なった肌の色をした人がいるのだから。で、今では「ペールオレンジ」とか「うすだいだい」とか言うらしい。言葉は世につれ …、何だか感慨深い気分がしてきます。

《武州、あしながおじさん?》の巻 

 そうそう、“あしながおじさん” なんて書くと、誰でもジーン・ウェブスターの小説『あしながおじさん』を思い浮かべますよね。まぁ、まったくそれと関係がないわけではないのですが、そもそもあの小説は、匿名の資産家が孤児院で育った少女ジュディに(毎月一回手紙を書くという条件で)奨学金を与えたというお話ですから、貧乏武州にそんな資金力を期待されても…。武州にあるのは心だけ、いや心をこめた授業だけ。… と言いつつ、その心も時にはすれ違い、思ったようにはいかないことも。というわけで、“奨学金のあしながおじさん” だけでなく “心のあしながおじさん” にもどうやら僕は相応しくなさそうですね。では、「武州、あしながおじさん」っていったい?

 皆さんご存知の通り、武州では年に4回『オアシス武州』という会を開いています。その内の2回(6月と12月)は特にテーマのないただのお楽しみ会ですが、そこに可愛いおチビちゃんが来てくれるのです。おチビちゃんと言っても、もう小学3年生になった上遠野颯(かどの・そう)君と幼稚園児の楓(かえで)ちゃんの兄妹です。この二人のお母さんは武州卒業生の上遠野宏美さん(第11期生で旧姓は河原崎、だから通称ザキちゃん)。そして、このお楽しみ会にはザキちゃんのご主人の巖さんもご一緒に家族4人で参加してくれます。颯君がお腹にいる頃から欠けることなく。 ー ところで、その颯君はずっと小さい頃から電車が大好き。電車の話となるとまん丸な瞳がますます丸く真剣そのもの。京王線の駅名はほとんど(全部かな?)覚えているのではないかと…(そのほか新幹線なども)。ともかく本当に良く知っていて、話を聞いていてもマニアックすぎて鉄道音痴の僕にはさっぱり分かりません。

 さて、数ヶ月前のこと。武州の玄関扉に一つの袋がかかっていたのです。名前も何も書いてないので一瞬??? でも僕にはすぐに分かりました。中には京王線のちょっとしたグッズや招待券が入っていたのですから、間違いなく卒業生の橋本実君(第18期生)からです。実君は現在、京王電鉄に勤務しています。京王電鉄? そうです、颯君の大好きな京王線の会社です。じつは(ずいぶん前のことですが)実君が武州に顔を見せたとき、京王線大好きな颯君の話をしたことがあるのです。そのとき彼は「子どもは大きくなると興味が広がるからいつまで鉄チャン(鉄道ファン)でいてくれるかなぁ?」と嬉しそうに顔をほころばせていたのですが、それからしばらくして京王線グッツを持って来てくれたことがあったのです。そして今回の無言の袋も…。前回も今回も颯君は大喜びです。「橋本さんにお手紙書くね」と、とても可愛らしい手紙を書いたこともあります。何はともあれ、名前は覚えても、まだ見ぬ橋本さんからのプレゼントです。本当に小さなことだけれど、心のこもったプレゼントです。だから “橋本さん” は颯君にとっての「武州のあしながおじさん」なのかも? と僕は思っているのです。

 確かに(実君が言うように)時間が経てば興味が広がって忘れてしまうこともあるでしょう。でも詩人で小説家のハンス・カロッサは言います。「人は最初の10年間に愛し行なったことを、終生愛し行なうであろう」と。なるほど、そうかもしれませんね。きっとそれは、折に触れ思い出す“心の故郷”のようなものでしょう。そして心に秘めた故郷の景色にはひととの想いがいっぱい詰まっているに相いありません。だから、颯君が大きくなって大好きだった京王線に乗ったとき、子ども心に深く刻み込まれた心的印象として、突如 温かい “何か” が甘酸っぱく胸に去来するときがあるかもしれません。

 ひとは、深く強い関係の結び目のその奥に、淡く緩い関係の結び目が幾重にも折り重なって心の襞を紡いでいるような気がするのです。 ー 「こんな気持ち遥か昔にも感じたことあるなぁ。何だろう?」と、何だか心がキュンとして懐かしくなる瞬間ってありませんか? もしかして、それって、子どもの頃いつか出会った 、あの “あしながおじさん” からの(差出人無記の)、ちょっと小粋な “贈り物” だったりして …。           

(斉藤 悦雄)

【インフォーメーション】
6月24日『武州大学』 7:00pm〜
     テーマ :H・ケルゼンの『純粋法学』を考える part.1    
    レポート:梶原真秀さん
7月29日『武州大学』 7:00pm〜
     テーマ :H・ケルゼンの『純粋法学』を考える part.2    
    レポート:梶原真秀さん
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2017年05月15日

『武州通信』第239号

 犯罪を計画段階で阻止すると謳う「共謀罪」。その成立が着々と進んでいます。一般のマスコミでは報道されませんが、裏では反原発の活動家までリストに載り「共謀罪」の対象にされているとも言われています。うーん … 
 さて、こんな重い話はここまでにして、今号はもっと明るい話題にしましょう。

《青春の吹奏楽》の巻

 風薫る5月と言うけれど、その日(5月5日)は7月並みの暑さで、鼻の頭にじわっと汗の雫が。府中の街の一角を歩く。そうか、今日は端午の節句だよね、でも鯉が一匹も青空に泳いでいない。何の変哲もない相変わらずの町並みが続く。ふと昔の端午の節句の賑わいを想い描き、ちょっと物足りなく寂しく思う。
 こんな気分のまま、バス停から歩くこと10分。その日の目的地は『府中の森芸術劇場』。武州卒業生の野口りなちゃん(高校2年生)が所属する「都立片倉高校吹奏楽部」の「第23回定期演奏会」である。

 トランペット、サックス、トロンボーン、クラリネット…、さまざまな楽器が四方からの照明に輝き、金色の光を放って幻想的でさえある。50名ほどの奏者の楽器が一斉に曲を奏でる。スカイブルー・ファンファーレ。最初の一音からお腹にズシンと響きわたる。

 りなちゃんのパートはホルン。そう、あのカタツムリそっくりなホルンである。さて、カタツムリはどこだ。あっ、いたいた5つのカタツムリが…。どれが僕の目指す「りなちゃん」だろう。まずは鑑賞そこそこにりなちゃんを探す。眩い輝きに目が少しずつ慣れてくる。… そうだ、間違いなくあの子だ。真剣に演奏しその合間にちらっと見せる親しみのこもったあの面持ちは確かに見覚えのある武州の頃の「りな」だ。黄色い衣装に身を委ねたその姿は思いのほか舞台栄えしていた。この新しい発見に、なぜか僕はちょっと戸惑う。それは僕の知らない少女の一面を宿していた。

 片倉高校の吹奏楽部と言えば、昨年度は「全日本吹奏楽コンクール」で“銀賞”、「日本管楽合奏コンテスト」で“最優秀賞”、「全日本高等学校選抜吹奏楽大会」で“優秀賞”などを受賞している。高い目標を掲げ、それに向けて弛まぬ努力を続けてこのような数々の実績を重ねてきたのである。授業前に朝練があり、放課後も夜遅くまで練習し、その果実がここに実っている。

 りなちゃんは中学時代のあるときから片倉高校への進学を強く希望するようになった。僕は、成績的にはもっと上の高校を目指せるのに…、と思っていた。そして、そう語った。彼女が中学の「ブラスバンド部」で頑張っているのは知っていたが、僕が関わっているのは机に向かう生徒なのだ。“成績が全てではない” と内心では思いつつ、目の前の生徒を見るとやはり “もっと上にいけるのに” と、ちらっと思ってしまう。ー ところが、こと、これに関しては、うちの “りな” は何とも頑固であった。と言うより、とてもとても想いが深かった。そして、推薦入試に合格し、片倉高校の生徒になった。あれから一年、その成果がこの日の演奏会なのだ。

 『府中の森芸術劇場』「どりーむホール」の2000席はほぼ満席だった。 次々に繰り広げられる素敵な演奏やパフォーマンスに盛大な拍手、時には手拍子それに笑い。僕は芸術には疎いからまともな批評はできないが「とても素晴らしい演奏だった」と心より思う。これが全国レベルの演奏なのだろう、と。そして、りなちゃんが “何故この高校にあれほど深い想いを寄せ、選んだのか” すとんと腑に落ちた。そうだ、それで良かったのだ。

  「千日の稽古を『鍛』といい、万日の稽古を『錬』という」(宮本武蔵『五輪書』)。今春卒業した元部員達は「千日の鍛」という一区切りを立派に終え、そのはち切れんばかりの笑顔が清々しい。今年2年生になったばかりの “りなちゃん” は「三分の一の鍛」、まだまだ道のりは長くて遠い。でも、今年も全国を目指して…。
 人生は、季節と同じく、青春、朱夏、白秋、玄冬。ー 青春の未来は目覚めたばかりの朝空のように未知数。だから、きっと、悩み、傷つき、苦しむこともあるだろう。そう、そうした試練を含みつつ、“可能性の未来へ一歩踏み出す”、それが「青春」なのだ。

 帰り道、夕映えの余光が、透明で爽やかな空気を漂わせていた。

(斉藤 悦雄)

【インフォーメーション】
5月20日『武州大学』 7:00pm〜
     テーマ :20世紀初頭『純粋志向』の潮流    
    レポート:斉藤悦雄
6月3日『オアシス武州』7:00pm〜
posted by 武州ゼミナール at 12:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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